終りが見えなかった反抗期


中学受験において、反抗期の訪れというのは、これマジで最凶でございます。

我が娘には、5年生の後期より強い反抗期がありました。
『もう中学受験はしたくない』と組分けもボイコットをされるほどに、強烈なレジスタンスでございます。

まぁ高学年にもなって、父親や母親に勉強を管理されることに、ストレスが無い子というのも珍しい。
ましてや私の子です。なんの反抗期も無く過ぎていくことには、別の意味で怖さがありましたから、それ自体は「良かった」とすら思ったのでありますが、まさかそれが最後の局面まで続いてしまうとは、なんとも恐ろしい1年なのでありました…。

進学くらぶというのは親が関与せずとも進められる仕組みにあり、塾とは違い自由にカリキュラムを先延ばしにすることもできます。
であるならば親の伴走がなくとも、自分なりに進めることもできるだろうと、まずはしばらく様子を見ることにしました。

当然ズンズンと遅れていきますし、漢字や計算など、予習ナビに含まれていないものは放置されてしまいましたが、まぁもう仕方ありません。

CコースだったものはBコースに、60台だった偏差値は50台に、ドンドンと落ち込んでまいりますが、まぁそれももう仕方がないのですッ!!

予習ナビに無いものは苦肉のギャグ解説ビデオを作ったり、ゴキゲンを伺っては伴走を試みたりもしたのですが、ミリの効果もなく4~5ヶ月はBコースに低迷することになってしまうのでありました。

その間も、まだ反抗期は終わらんのか!クソガキが!と、幾度となく喧騒は繰り返されるわけでありますが、
春に合不合が始まる頃になりますと心機一転、伴走も復活しすぐにCコースに復帰することにもなります。

な~んだお嬢さん、やればできるじゃないか。じゃぁ…遅れたものをオントラックしなければ!と、
焦った私はまたフル伴走を試みたことで、夏にはもはや取り返しのつかないようなレジスタンスとなってしまうのでありました。

中学受験において、反抗期の訪れというのは、これマジで最凶でございます。

もはや途方に暮れる私にとって起点となったのは、「だったら、最後は記念に塾でも行ってみるか」と持ちかけたことでありました。
実はこの頃までに、専修大松戸の過去問を解き終わっており、今の学力さえあれば合格できるんじゃないかという見通しがありました。
ならば最後は塾に預けてキープだけはしておこうという魂胆であります。

この通塾は様々な面でプラス効果があり、特に良い声がけをしてくれる国語の先生が現れたことで、少しずつ受験に対するモチベーションも高まってくれました。

ところが、なぜか反比例するように成績は下がっていき、10月の合不合では偏差値も50を切りかけるところまで落ちてしまいまうのです…。

もはや…万事休す…となるわけですが、成績が下るというのは何も悪いことばかりでもありませんで…ッ!

なんと「塾よりも案外パパやママの方がわかりやすい」という、急転直下が訪れ、その後は1月頃までは楽しく、こんなにもあっけなくも楽しく、伴走を続けることができ、偏差値もギリギリ60くらいまで回復してくれたのでありました!!

(まぁ…1月から2月はまたスゴイ癇癪期が始まるんですけどね…)

この反抗期をまず総括しますと、「反抗期が5年の後半までは訪れなかったことが、なによりも不幸中の幸いだった」ということに尽きます。

全体のカリキュラムがひと通り終わる5年が大凡終えていられたことが生命線であり、これができていなかったら、最初の4~5ヶ月でかなり厳しい状態に陥っていたはずであります。

そして、今思うと、反抗期が始まった時点でサッサと通塾すべきであり、粘って伴走を再開させようと試みたことは非常に愚策だったということであります。
通塾以降は普通に伴走ができるまでに至っているわけですから、やはり他人の存在というのは重要です。
結局は我々にはどうしようもできてないのですから、約1年近い時間は大変に悪手でありました。

我が身を思えば蚊の鳴くような反抗期ではございましたが、

こと中学受験において、反抗期の訪れというのは、これマジで最凶なのでございます。

反抗期
『反抗期 悩むな粘るな 人任せ』