5年の冬休みから始めた、死守校の過去問演習


我が家には、中学受験をするにあたって「このラインは死守したいッ!!」という絶対的な境界線というのがございます。

ぶっちゃけ、その境界線を下回ったとてなのではありますが、この記事においては「大谷翔平 と 大仁田招聘 くらいの差がある」ということにさせて頂きますと、当然ながらそのような邪道を招聘するわけには参りません。

振り返りますと昨年のこの時期。突如としてそのような不安に駆られた私は、組分け偏差値58くらいであった当時5年生の娘に対し、6年のY80%偏差値55の過去問を解かせてみるという、電流爆破デスマッチを仕掛けておりました。

まずは冬休み中に算数を数年分。さらに理科を春休みまでに数年分。国語もGWから最近にかけて数年分、言わば社会以外の教科を1年~半年前に取り掛かかってしまうという、有刺鉄線ありのハードコアレスリングなのでございます。

ところがなのですが、ヤッてみますと算数9割当たり前、理科も9割、国語は5割、あとは社会で5点~15点(50点満点中)も取れれば合格してしまうという、おぃ!おぃ!ファイヤー!! みたいな状態なのでありました。

本来であれば、娘には死守校の問題であることは伏せておき、6年の今頃になって「実はあのとき解いた問題が」と開示する演出的な狙いがあったのですが、もはや合格目前であります。

解いた過去問が千葉校であること、女子偏差値、教科間に格差がある我が娘ゆえなど、細かいツッコミどころはあるものの、四谷のカリキュラムを5年生まで終了していれば、すでにそれなりの戦いはデキてしまうということも言えるわけであります。

これには驚かされたと同時に、良い意味でも悪い意味でも「余裕」が生まれてしまいました。

まず悪い面で申しますと、これは「ゆるみ」でございます。
2年生の頃から1つの目標として掲げていた学校の過去問が解けてしまったことで、なにか拍子抜けをしたというか、さらに上を目指そうにも千葉は次の着地校がすでに難関であり、言わば「これで良し」というか、過酷な中学受験なかでは次の可能性を狙うという感覚にはなれなくなってしまいました。

そして良い面で申しますと、これは「ゆとり」でございます。
その後の娘の経過をみると、Bコースへの転落、強い反抗期による学習ボイコットなど、まぁまぁの修羅場具合だったのでありますが、「これまでのことがしっかり振り返れれば大丈夫」と、大きな狼狽えに繋がることはありませんでした。

その良し悪しというのは、自分のなかで拮抗することもあるのですが、総じて「安心感」が出てきたのはプラスであり、
今をもってしても追い込むというよりは、むしろ楽しむという感覚でいられるのは、早期の過去問演習で得たファイヤーー!だったのではないかと思っておるのであります。が、、、、

なにか1年前に得たことで満足してしまっている現状というのは、それはそれでどうなのか…
桜蔭の面接にレンタルパパを利用しようと話していた、あの血湧き肉躍る中学受験はどこに行ってしまったのか…
さっきの「ファイヤーー!」も、なにか使い方を間違えていないだろうか…

やはり狂気あっての中学受験ッ! 大仁田厚は申しておりました『一瞬逃げられても、一生は逃げられない』と。

そう! 我ら東の民には2月からの首都圏チャレンジが待ってございます!!
今こそ心に大仁田・招聘ッ! 50%・20%から逃げてはいけないのですッ!

聞け! 娘ッ!
年明けから始めるA校・B校対策!
挑むなら全力!それが邪道!
やるなら絶対合格! それが邪道!
千葉校の入学金なんて収めない! それこそが邪道なんじゃッ!!

(あかんよ。それは)


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