ぼくのかんがえた、さいきょうの中学受験


「御守校」というと、『そんな言い方は失礼だ』と怒られてしまうことがあります。
相対的な話ですから、別にいいじゃないかとも思いますが、そこを第一に目指している子どもからすれば腹が立つのも理解できます。

しかし、わが家の受験には絶対欠かせない、この学校があったからこそ受験を乗り切ることができた、まさに守護っていただいた学校というのがあるのです。

それが、わが家にとっての神校、『専修大学松戸』でありました。

大学付属校にして進学校。MARCHは無論、早慶上理にも多数の合格者を輩し、みんな大好き常磐線沿い。英語教育も盛ん。
『専松(せんまつ)』の愛称で地元からも親しまれ、あの『マインドシーカー』を監修したエスパー清田をも輩出するなど、千葉で言うところの名門校でございます。

アップダウンが続く坂道が少々難儀な学校ではございますが、気遣いがうれしい学校で、関係者が「寒かったでしょ~~、こっちが暖かいからこちらでお待ちくださいね」と声がけしてくれたり、生徒さんも朗らかで評判も良く、心から「こういうところで子どもには育って欲しいなぁ」と思える学校なのです。

そんな専修大学松戸の四谷偏差値は55。ようは「届くかもしれない」と思わせてくれる偏差値。
これなら勉強すればチャンスもある!とヤル気にさせてくれるばかりか、そもそも偏差値60とか目指したところで、本当に専松よりも魅力的なんだろうか?と、ある意味では加熱する部分もクールダウンさせてくれる、そんな存在でありました。

この学校に最初に護って頂いたのは長女の受験。
1月に3連敗を喫して、もうアトがない…となったところに合格をいただくことができ、
ホッと一息ついてからは、2月をオールチャレンジに突っ込み、最終的には持ち偏差値+15オーバーという受験で終えることができました。

しかし、4年生から始めた長女は偏差値48でしたから、専松に余裕があったわけではありません。
そこで、続く次女は小2からのスタートを始め、とにかく専松・偏差値55というのを意識し、逆に言えばそこから先は「おまけでOK!」という心持ちで受験生活を送ることになったわけであります。

次女に関しては、最初から『専松LOVE』が強かったこともあり、むしろ1月に専松に合格を頂いてからは、総じて2月以降にやる気がなくなるという逆の効果もあったのですが、やはり「もはや専松には行けるんだ」という安心感は強く、持ち偏差値よりも少し上の、50%校に合格をいただくことができたのでありました。

このところかみさんと、「それにしても、わが家の中学受験は、2人ともうまくいったな~~」なんて話をしています。
うまくいったのは、近くに専修大学松戸があったから。専修大学松戸を目指すことが次に繋がり、専修大学松戸が心から子どもを通わせたいと思える魅力的な存在で居てくれ、専修大松戸が2月を前に1月に試験をしてくれるから。だからこそ、うまくいく。

思えば、我々が最初に訪れたのは中村中学校でありました。
言い方は大変に失礼でありますが、それは、どんなことがあってもこんな素晴らしい学校には行ける。私立受験はお得なんだ。それを理解してもらうためでありました。

そして次に訪れたのが専修大学松戸であります。
少し頑張ればさらにこんな所に行ける。これは全然ムリな話ではない。でもちょっと頑張らなきゃだめだ。どうだ!やってみるか!?というメッセージでありました。

ようするに、我々の受験というものには「失敗」が無い。
始めたその瞬間から「成功」しかない中学受験。

自分たちの受験生活を護って頂く、そんな御守校を見つけておく。
それが、ぼくのかんがえた「さいきょう」の中学受験なのでございます。

本の内容と本文はマジで関係ございません!
ど…どうしよう怒られたら…。
すいません、10日届いたら読みますッ!!


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