多様性? ダイバーシティ?


最近、「中学受験と多様性」というようなワードをよく目にするような気がします。
先日のアベプラ(番組アーカイブはコチラ)でも、冒頭にそのような流れがあり、危うくエロイーズがカチアゲられそうな瞬間もございました。

私はこのようなブログをしたためているくせに、文字を読むのが大の苦手でありまして、そもそも多様性とかダイバーシティの意味すらよく理解していないのでありますが、
とりあえずは「偏差値で輪切りにされる私立=均質性」「いろんな子が集まる公立=多様性」という話で進めらることが多いように感じております。

それについて知見も私見も恥も外聞もないのではありますが、
自分が肌で感じていることとは180度違うと申しましょうか、あまりにも勉三家と掛け離れているような気がして、少し我が家のことを話してみたいなと思いました。

我が家の長女は中学受験を経て、現在とある中高一貫校に通っています。

校内には数多くの帰国生・海外生がおり、集合写真などを見るとインドに韓国にドイツにアメリカ、肌の色も髪の色も、文化も名前もまったく異なる子たちがクラスメイトとして写っております。

お友達の多くは日本人ではありますが、日本語が不慣れな子に配慮してグループLINEなどは英語でやりとりをしていますし、英語学習に付き合ってくれる子などとは積極的に英語で会話をしたりもしています。

他にも偉人の子孫や、芸能を目指す子、マイナープロを目指す子に、日本には無いような職業を目指す子もいたりして、まさにるつぼ、THE・多様性。
その学校が特殊なのではと言われしまえばそうなのかもしれませんが、その特殊性も含めて私立でしかありえないような環境で6年間を過ごさせてもらっているわけであります。

対して私というのは公立の中学校に通っておりました。

中学受験が盛んな地区だったこともあって、特に女の子は半分以上が私立中学に進学してしまいます。

当然ながら多様性とはほど遠く、完全に地元の学び舎コミュニティー。
小学校の方がまだ色んな子がいたような気がしますし、中学に上がってからの方が一気に均質化してしまったような気すらしています。

誤解があってはいけませんが、別に私はその環境が嫌いということではないのです。
均質化の中では強い仲間意識を感じることができましたし、個性を磨かなくてはというアグレッシブな気持ちも培われました。
女子が少ない環境ではクリスマスなどを済ますのは至難の業でしたがから、やはりこの時期の生命力は後の自分へと繋がっているとは思うのです。

ただどうでしょうか。
今の娘を見ていると、なんだかちょっともったいない気はしているのであります。

娘は、公立で過ごした小学校時代の友達とも相変わらず付き合いは続いております。
今はLINE等でつながることが当たり前ですから、たこ焼きパーティーをしたり母校の運動会を見に行ったり、それこそ大学に進学しない子や、すでに家業を手伝う事が決まっている子などとも、変わらず仲良くさせてもらっているわけです。

であれば、私立中学に行くことに多様性の機会損失など無いようにすら思えてしまうのであります。

私にとって公立中学校で過ごす午前中はただただ苦痛でありました。
授業には興味が持てず、ただただぼ~~~っとするばかり。
それに対して娘は本当に楽しそうに学校に通い、すでに多くの経験値を得ているような気すらします。

「親の視野の狭さのせいで、子どもの広い道が失われる」としたら、それはどっちのことなのか。

とは言え、当時の私が「中学受験をしたい」と思っても、経済環境などいろんな問題はあったうようには思います。
それを思うと、アベプラの放送でEXITの兼近さんが最後に言っていたことには、むんずとさせられるところもあるのです。

「僕はここに居るみなさんと違うから」
「超低所得で荒い環境で生きてきましたし」
「基本、僕の環境の人でウマく行った人はいないです。」
「お金かけた方が上手くいくんだなってのは今日すごく感じました。」

兼近さんは成功者ですから、まだ良いかもしれませんが、
兼近さんのような境遇に居る子がいたとして、その子にこのような発言をさせないこと。その子にだって中学受験の夢を描けること。
そういうことが多様性なのではないのかなと思ってしまうのあります。

やはり次は江口さんに、政治家にでもなってもらうしかないのかもしれません。

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