完全自走式の中学受験なんか “やめておけ”


皆さんは開成の柳沢校長が、色んなところで下記のような発言をされているのを見たことがないでしょうか?
『身の回りのことは自分でさせて、できるだけ手出しをしないでくださいとお願いしているんです。子供が中学生になったときにうまく母親が子離れをしないと、子供がゆがんでしまいます。』

はて、そもそも身の回りのことにまで親は手出しをするだろうか?
むしろ開成だけが、想像以上にベッタリなのではないだろうか?

私としては、違和感をもってしまったのですが、
これが「身の回りのこと」ではなく「中学受験」ということであれば、私もベッタリで良いというか、「勉強の自立は中学に入ってからが良い」と感じているところでもあるのであります。

親が子どもに勉強を自走させるとして、それは成績が上がることを期待して試みるのだと思いますが、少なくとも我が家の長女は完全にその逆に振れてしまいました。

併走して偏差値60を取るより、自走で偏差値50を獲るほうが価値も高いはずと、塾の勧めもあってしばらくは見守ることをしてきましたが、偏差値が40台前半になると居ても立っても居られなくなり、結果的にはすっちゃかめっちゃかだったのではないかと思っております。

もちろん、親子喧嘩は無くなりますし、遠方の特別講座にも1人で行きだすなど、良い事もたくさんありましたが、成績で言えば急落からの再浮上なしで光明は全くなかったように思います。

むしろ、今の長女を見れば、自立心というのは、中高一貫の6年間でちゃんと育まれるものであり、何も小学生の間に完成させるものでもありません。

今の長女は、友達が英検を取得したとなれば、我も続けと自発的に努力しますし、模試の偏差値が芳しくなければ必要な勉強もちゃんとします。
毎日電車に揺られ世の中も良くみてますし、体調が悪ければ勝手に診察を予約して病院に行ってきますし、将来の脱毛に向けた資金集めなども頑張っておりますw

まだまだ大学受験など口やかましくしてしまうこともありますが、もはや子どもというよりは完全に大人という感じで、信頼もありますし自立心が無いとは到底思えません。

それよりも、なによりも、中学受験を10歳とか11歳とかの子どもに丸投げするほうが圧倒的にマズイ
大人でも解けるかどうかの問題を「じゃぁ後はよろしく。わからなかったら塾に聞いてきて」とブン投げる方が、よっぽど「子供がゆがんでしまいます」。

我が家の方針を振り返れば、低学年時の参考書選びは「自分ひとりでやる!と言える紙面テンションか」という基準で選んでますし、自学自習に向けたRISU算数にも取り組んでますし、予習シリーズにおいても、「1人でやってみる」と言われれば、必要以上に喜んでみせ、どんなに理解度が低かろうが、「ひとりで勉強するなんて!最高だ!」という意思を伝えています。

しかし、それらは種まきとかチャレンジ精神を促すようなものであり、少なくとも5年生くらいまでの範囲はしっかりとサポートするつもりですし、どんなにウザがられても一緒に解いて課題点を把握するつもりでおります。

もちろん、自走ができるならそれに越したことはありません。
解答を読んで、腑に落ちることができ、再現性も発展性もあるなら、親というのは邪魔でしかありません。だから種はまきますし、自走に向けた取り組みはします。
しかし、そのような解決力が備わってないうちに放り出されては、多くの子は途方に暮れてしまうのではないでしょうか。

ということで、私は「やるなら、しっかり最後まで伴走する覚悟で臨むべき」「限られた時間の質問教室は万能ではない」「子に投げるなら全権委任で二度と戻ってくんな」としか思っていません。
もし塾に「自立をしないと今後はやっていけませんよ」と言われたら、「それができるなら、おたくらも必要ない」と、心の中だけでハッキリと言ってやるつもりです。

言うまでもありませんが、身の回りのことや学校生活などは別です。
あくまで中学受験という分野においての一部についてでの話であります。

そこを履き違えると、開成の柳沢校長に
『子育てが終わった母親たちに聞くと、「あの時期が一番充実していました」と言う人が多い。気持ちはわかるけれど、そこをうまく断ち切って、旦那さんのお世話をしてあげて欲しいと(笑)。』
なんて言われてしまいます。

終わったら旦那の世話なんかせずに、自分の時間をめいっぱい楽しみましょう。

スネちゃま
スネ夫のママの名前は「スネ夫のママ」。
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