他者の心情理解
今週の国語は、引き続き「はじめての論理国語」をやっておりました。
この問題集は、いつもは短文から構成されているのですが、今回は説明文と物語文ということで、珍しく長文での演習であります。
[1]の “お来” って…。 |
説明文に関しましては特に気になる点もなく、「~から」「~ので」といった理由が書かれた部分に注目しながら、なかなか小慣れた感じで正解をしていくのでありますが、
物語については、解答欄のボックスに合いそうな文章を選んで埋めているような疑いがあり、非常にアヤシイ感じであります。
ご覧の通り、非常に誘導的な解答欄ですので、言葉を探してしまうのもしょうがないのですが、試しに解答の根拠を確認していくと、やはり内容を掴めているとは言えず案の定であります。
物語文が苦手そうだ、というのは、この半年の中ですでに何度も感じていることではあるのですが、
説明文というのは、読んだことをそのまま理解すれば正解するのに対し、物語に関しては「書いてあることから察する」という心情理解が必要になってくるのが、娘とってはネックになっている感じであります。
今回の物語は、大人になるまで時計は買ってもらえないと言われたアヒルの子が、機転を利かせて虫眼鏡を持ってきたところ「アヒルの子がまるで大人のように大きく見えた」から、無事に時計を買ってもらえたという内容だったのでありますが、娘としては「虫眼鏡で大きく見えたからとて、アヒルの子が大人になったわけではない」という自分観点の価値観が勝ってしまい、登場人物の心情を察するということをしようとしません…(-o-;)
そのため、「小アヒルを虫眼鏡でみた」→「大きく見えた」→「まるで大人のようだ」→ ※心変わり →「時計を買ってあげた」という物語の組み立てにおいても、心変わりの部分が理解できず、時計を買ってあげた者の心情をトレースすることができないのであります。
普段の生活において、例えば他者の心情が理解できていないとか、そのような懸念を感じることはまったくありませんが、
ペーパーとはいえ、このレベルの心情理解ができないとなると、やはりいかがなものかと、思うところもあります。
成長もありますので、今はそういうものかなという思いもありますが、少々注意しながら見守っていきたいと思っております。